アニメでは『カウボーイビバップ』も世界的な成功を納めた作品ですが、ファンクやブルースといったブラック・ミュージックを取り入れた音楽性がアニメ劇伴として非常に斬新でした。
あの作品で取り入れた音楽の芽生えは、文学少女だった中学から高校の頃に、ブラスバンドやっていた頃に生まれたものだと思います。今はどうなのかわからないですけど、昔は、子供が演奏するブラスバンドの曲って、カッコイイものがなかったんです。だから当時、オリジナルの曲を作って演奏したりしていたんですけど、子供心にずーっと「こんなカッコ悪い曲でみんな我慢してるの!?」というフラストレーションがあって。もっと心が荒ぶるような、血液が沸騰するような、はっちゃけられるようなブラスの曲がやりたい! という思いを大人になって爆発させたのがOPテーマだった「Tank!」という曲で。自分で演奏してて燃える、と思えるブラス・ファンクをやってやろうと思ったんです。あと大学生の「便利屋」時代に、ブラック・ミュージックのコピーをたくさんしたんですよ。リズムというものに出会ってからは、「どうして同じようにドラムを叩くのに、黒人と白人の音楽でここまでリズムは違うんだろう?」というのがわからなくて、実際にニューオリンズまでジャズやファンクを聴きに行ったんです。
大学時代にアメリカに?
はい。Greyhoundバスでアメリカ大陸を横断しました。ホテル代が無いからバスの中で寝泊まりしたり、若いからできたことだと思います(笑)。ロサンゼルスの路上で弾いているバンジョーのリズムに「かっこいいなぁ」なんて思って、東に向かってバスに乗っていると、段々と路上で演奏している人たちのグル―ヴが揺れてくるんですよね。高校生くらいの黒人の男の子が、スネア1個で超かっこいいファンクをやっていたりするんですよ。そういう出会いを通じて、同じジャンルの音楽でも演奏によって感じる”色気の違い”が面白くて。その旅を通じて「ビートって一つの言語なんだ」と思ったんです。でも「関西弁を真似する東京人」じゃないですけど、昔は黒人のかっこいいビートに憧れても近づけないことにもどかしさを感じていましたね。最近は「ホワイト・ファンクがあるならイエロー・ファンクでいいや」と思うようになりましたけど(笑)。
大学生の頃も“てつ100%”というファンク・バンドでキーボードを担当されていましたよね?
そうなんですけど、本物の黒いグルーヴは出せませんでしたね。日本人て、憧れが強いからやりすぎちゃうんですよ。デフォルメしちゃうというか。ビートに関しては、今もまだ入口に立ったところだと思っています。ブラジルに行ってサンバやボサノバを聴いた時、「このビートはまた違う言語だ!」と思ったんです。南米のみなさんて、リズムに感情を揺さぶられて涙を流したりするんです。私はまだその境地には到っていないというか、その衝動を突き動かす“ビートの真理”のようなものに、辿りつけていないと思っていて。まだまだ掘れるなと。
そういう学生時代を過ごされていたから、「退屈なループは嫌い」という発言にも繋がるわけですね。
そう、意味分かんない(苦笑)。同じメロディ、同じリズムをお決まりのようにただ反復しているだけの音楽は退屈しちゃうし、つまらない。ただそこに「洗脳」や「催眠」という意味が伴えば話は別ですけどね。あとライブ会場で実際に体感すると、意図が汲める音楽もあります。ウィーンに行って、ウィンナーワルツを聴いた時に思ったんですよ。あれは踊るための音楽だから、ただ座って聴いていたらダメなんです。その音楽やリズムが生まれた場所に行ってその意図に触れないと、良さが分からないものは多いですね。話を戻しますけど、『カウボーイビバップ』でやったことは、私にとってはブラック・ミュージックへの憧れを形にしたものでした。
監督で言うと、『∀ガンダム』でご一緒された富野由悠季監督はオリジナルな哲学を持った演出家だと思うのですが、お仕事を振り返っていかがでしたか?
富野さんの、難解な言葉を費やして自分のロジックを弾幕のように張り巡らしているあの感じのところに、どうやって音楽を届けようかなぁ? と。音楽って右脳で作るものだから。左脳で生まれた言葉を重ねれば重ねるほど、クリエイティヴは萎えていくというか。言語的に同じ思いを共有しようと思っても無理で、このままだとどんどんクリエイティヴから遠のいていっちゃう気がしたんですよね。だからある時からはそういう言語化されたものを「ばーん!」とブッ飛ばそうと思ったんですけど、その心境に到るまで半年くらいは対話を続けていました。
その結果、富野さんは菅野さんの生み出した音楽の幅に感動されていたと聞きました。
私は富野さんに、”本物の音楽”をお渡ししたかったんですよね。つまり半年かけて富野さんが仰っていたことは、「俺に本物をくれ」ということだったのかな?って。私は日本のアニメ音楽とハリウッド映画の音楽の違いってすごくあると思っていて、ハリウッドってシーンを盛り上げるための、まさにバッグ・グラウンド・ミュージックを求めますけど、私の考えるアニメの音楽はそのシーンの情景や人物の心情を音楽でどう付加するかなんですよね。盛り上がるかどうかは、あくまでも結果でしかないというか。富野さんの場合も、作品と同じ哲学を持った音楽をシーンの横に並べたい演出家だと思いました。哲学が共有されず、音楽が勝手に盛り上がるようなことは避けたいと思った。とにかく富野さんの求める音楽を、せっせと作った感じですね。「∀ガンダム」の深みを表現するのに必要なのは“盛り上がる音楽”じゃなくて、“同じ哲学を鳴らす音楽”なので。
確かにHans Zimmer的なハリウッド映画のBGMって、「この音楽は他の作品 にも流用できそうだな」というものが多いように感じます。菅野さんの音楽の場 合、他の作品への流用は絶対にできないなと。
作り方は毎回全然違います。もちろん、ハリウッド的なものを求められれば喜んで作りますけど、毎回監督がいろいろな違う要望を下さるので、同じ作り方で作った音楽とか、同じ方法で辿りついた音楽にはなり得ないです。
監督や演出家との対話は、お好きですか?
好きですね。一筋縄でいかない方が多いから(笑)。すごく刺激になります。たまたまハリウッドの話になりましたけど、日本のアニメって、ハリウッド映画のように合議制で作られたものって少ないと思うんですよ。たった数人の突き抜けた才能が引っ張っていくからおもしろい作品ができるのだと思っていて、その突き抜けたところが日本のアニメの素晴らしさだと思うんです。「合議制にした結果、平均的にポジティヴな作品になりました」というような作品には、私はあまり面白さを感じません。民主主義的ではないかもしれませんけど、とんでもない人のとんでもない意見と演出があって、そこに音楽を求められる方が、私は好きです。深層心理のどす黒さがそのまま表現されていたり、演出家の思想とかクセがそのまま出ていたり。そういうのが日本のアニメの特徴でもある気がしますね。